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去る7月7日(木)〜10日(日)の4日間、喜多方市厚生会館に於いて、第17回 平和のための戦争展・喜多方が開催されました。今回は特別企画として、学徒工場動員先の郡山日東紡富久山工場で空襲に会い負傷された庄子愛子さんの体験談、また、1954年にアメリカのビキニ環礁水爆実験による死の灰を浴びたマグロ漁船の第5福竜丸のパネル展や当時の乗組員大石又七さんの講演が行われました。

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特集

“学友の爆死・私の負傷 戦時中の教育体験とともに”

●「学徒工場動員と郡山空襲体験」   7月9日(土)午後 2時 〜4時    
講 師 :庄司(五条方)愛子 氏(耶麻高女卒 郡山在住)

講師の庄司さんは喜多方実科高等女学校(元喜多方女子高・現喜多方東高)を昭和20年9月30日卒業されています。当時は学業は二の次で「あゝ紅の血は燃ゆる」(学徒動員の歌)のように日本の勝利を信じ、前年の19年10月から庄司さんは徴用工員として郡山の日東紡富久山工場に動員されていました。
悲劇は卒業の5ヶ月前の昭和20年 4月12日に起きました。B29爆撃機による無差別爆撃により、級友金子スズイさんを爆弾の破片の直撃で亡くされ、ご自分も左足に重傷を負い左下腿部切断という15歳の少女には酷い大きな怪我を負ったのです。B29による爆撃は軍需工場だった保土谷化学郡山工場・日東紡富久山工場を狙ったもので、工場にいた、それも若い女性ばかりが爆死したと言われています。さらに隣接する国鉄郡山駅・駅前商店街・周辺の民家等も被害を受け、爆死者は約460名、うち、241名は国家総動員法に基づく国民徴用令により就業させられた徴用工員だったのです。
4月12日は郡山市が初めて空襲を受けた日で、巨大な飛行機が3機上空に現れても、当時はB29爆撃機による空襲だとは大半の人は気づかず、「なんだべ?あれは…?」と眺めていたそうです。その後の1トン爆弾の爆発音、その揺れは震度に直せば6を越えていたようで、直線距離で20キロ近く離れたところでも、すぐそばに落ちたと騒ぐくらいの大きな揺れがあったそうです。

亡き友よ安らかに 半世紀を経た平和の祈り 〜学徒動員旧耶麻高女66名〜

庄司愛子さんたちは平成7年に同級生の所在探しを進め、50年ぶりにやり残した追悼集会を当時の工場跡地で行い、犠牲になった金子スズイさんら故人の冥福を祈りました。
今回、庄司さんはご高齢にもかかわらず講師を引き受けられ、来場された皆さんに対し、「どんな理由があろうと戦争は絶対に起こしてはなりません。」と力強く訴えられました。

 

“ビキニ事件で死の灰を浴びて… 核兵器・原発問題等を考える”

●「第五福竜丸での被爆体験」     7月10日(日)午前10時〜12時
講 師 :大石 又七 氏    (元マグロ漁船第五福竜丸乗組員 東京在住)

〜ビキニ事件とは〜

1954年3月1日、現地時間6時45分、アメリカ合衆国は中部太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁に於いて、広島型原爆の1,0000倍といわれる15メガトンの巨大な水爆実験を行いました。その海域でマグロ漁をしていた第5福竜丸の乗組員23名は放射能を大量に含んだ粉塵をかぶり全員が被爆しました。事件が一般に報道されると、「放射能マグロ」の大量廃棄や残留放射線に対する危惧から魚肉の消費が落ち込むなど、事件は社会的に大きな影響を与えました。その後、死の灰に汚染された魚船は数百隻を上回る事が判明し、被爆者は2万人を越えたと見られています。

〜悪魔の光、そして、死の灰を浴びて〜

夜明け前の西の空が突如サーッと明るくなった。水平線の端から端まで、空も船も海もが夕焼け色に染まった。それが約3分間続いた。乗組員達は何か大きな自然災害が起こったのかと思った。驚きと不安で落ち着かなかったが、はえ縄(マグロを獲る仕掛け)を回収し始めた。その7分後、「ドドドドドー、ゴーッ!」という物凄い轟音が海底から突き上げてきて、私達乗組員はパニックを起こし床に伏せるものもいた。12、3分が過ぎ、夜が明けて空が明るくなったので、光の出ていた西の水平線の方角を見ると、そこには入道雲を5つ6つ重ねたような巨大なキノコ雲があって、すでに頂上の形は崩れ、成層圏に達し、風向きとは逆のジェット気流に乗って船のほうに覆いかぶさってきた。
2時間ほど過ぎ、回収作業中に白い粉が雪のように降り始めた。甲板に足跡が残るほど…。当然、乗組員の頭や顔、体にも降り積もり、目にも入った。目を真っ赤にしながら、はえ縄の回収作業を続けた。衣服の首の隙間から入ったものが下着の中に入り、チクチクと刺さるような感じでイライラした。唇に付いた物を舐めてみると砂のようにじゃりじゃりして硬く、匂いも無いし味も無い。後にこの粉(死の灰〜高濃度の放射能を含んだ水爆のちりや珊瑚の粉)によって原爆症が引き起こされた。

〜ビキニ事件の裏側〜

福島原発の事故の原点は今から57年前のビキニ事件にさかのぼって考えなければ正しい答えを導き出すことは出来ない。ビキニ事件当時、連合国最高司令官マッカーサー元帥は占領した日本を共産圏からの防波堤に仕立てるために「天皇制と財閥を残し温存させて、日本をアジアの工場にし、アメリカに輸出させ、アメリカに引き付けておく。そして多額の政治資金を提供し、反共産の保守大連合を実現させ、強力な親米政権を作り上げる。それをメディアが支える。」という政治・心理作戦を行っていた。
ビキニ事件後、日本中が核実験反対で燃え盛っている矛先を変えるため、アメリカは日本政府との間で被爆者保障の交渉を急ぎ、「アメリカの責任を追及しないこと」の確約を日本政府から受け、見舞金200万ドルを支払って事件の政治的決着が行われた。さらに、アメリカは反米感情の高まりを抑えるために「原爆反対をつぶすには原子力の導入しかない」として、日本のメディアの力を利用する。そして、読売新聞と日本テレビが原発導入の大々的な宣伝を行い、中曽根代議士が原子力予算の国会通過に尽力した。個人の利権と政治的野望に加え、戦後の復興を遂げるためにも日本はエネルギーが必要な状況があり、そのため、被った莫大なビキニ事件の被害額と国際法違反の責任も問わずにアメリカの核実験を容認した。そして、それらを取引材料に水面下で原子力技術やウラン、原子炉をアメリカが提供し、東海村に導入した経緯がある。

〜福島原発事故に関して〜

日本人には当事者以外はすぐに忘れ去ってしまうという特質?があるので、当事者が粘り強く発言し運動しなければならない。福島の原発事故は、自分たちの生活の問題として捉えなければならない。また、現在もビキニ事件の当時とまったく同じような状況がある。当時も専門家は、放射線は安全なレベルだと主張していたが、マーシャル諸島の住民は何年も経過してから甲状腺のガン等のため沢山の方々が手術をしている。机上の数値と現実は違う。福島原発についても被害の当事者である皆さん方がキチンと学習し、主張し続けなければならないと思います。

《第17回戦争展のおもな展示》

・ 戦没者名簿(喜多方・塩川・高郷・山都・熱塩加納)
・ 戦争に関する書籍の展示 ・ 戦時下の生活用品、軍服・軍用品               
・ アウシュヴィッツ平和博物館資料
・ 原爆に関する資料(第五福竜丸パネル 被爆ハマユウ 原爆ド―ム模型) 

若松地域こ〜ぷ委員学習交流会 6月7日(火)午前10時〜午後1時

日生協特別商品部の松本 哲 氏を招き、コープ商品学習会をメインにコープ商品じゃんけんゲーム、福祉委員会による紙芝居など楽しくためになる盛り沢山の企画で47名の参加者を得て開催されました。コープ商品の歴史から餃子事件を経てのさらなる安全対策等を試食を交え学習し、参加者からは「大変勉強になりました。コープ商品をどんどん組合員さんに紹介したいと思います。」との感想が寄せられました。

喜多方地域・塩川地域活動交流集会 6月27日(月)

2012年度からの喜多方・塩川地域の合併を見据えて、エリア会の活動交流会を行いました。それぞれの地域の地域理事さん、エリアサポーターさんが一堂に会し、交流を深め合いました。

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くらし見直し講演会のご案内 “老いじたく”

〜自分や家族が困らないようにしておきたい準備〜

日時*平成23年9月8日(木)10:00〜15:00会場*会津若松市文化センター
内容*午前の部 講演会「老いじたく」
午後の部「エンディングノート」の活用
募集人数* 80名(先着順)
応募締切* 8月31日(火)
参加費 *1000円
(資料代・昼食代)
*講師*明石 久美 氏
※参加費は当日お預かりいたします。   
お問合せ 0241−22−1041 共済課 武藤まで

● 今月号のクイズ ●

「平和のための戦争展・喜多方」は、長年に渡り開催し続けられている点も高く評価され、昨年10月には戦争展実行委員会主催で「吉永小百合原爆詩朗読会」を開催することが出来ました。
 さて、今年度は第何回目の開催だったでしょうか?
@第7回 A第10回 B第17回

「7月号の答え」と明記し、正解を選んでハガキに生協の商品や記事についての感想などをご記入の上、下記の住所までお送り下さい。抽選の上、当選者へは粗品を進呈いたします。
6月号の答えは…
A47,284人でした。

あて先〒966−0818
喜多方市字二丁目4669−2   生活協同組合コープあいづ広報委員会
TEL 0241−22−1041  FAX 0241−24−3504
〆切日 〜8月10日まで

わたしの生協

会津坂下町・二瓶 淑さん
生協を退職して4年目を迎えました。在職中は食の安全や生協の理念、地域での生協のあり方などなど、常に勉強させていただきました。
今度は立場が変わり、一組合員として職員・パートさんを見ると、一生懸命さがひしひしと感じられて「ああ頑張ってるなぁ〜」と思います。
また、坂下店もBESTAに変わり、生鮮食品の鮮度が良くなって買い物に言っても気分がいいです。
 原発事故に対しての不安はまだまだ続くでしょうが、生協の「組合員と共に復興に前進しましょう!」の姿勢はとても心強く感じています。また、生協には全国に仲間がいることで安心感がありますし、TPP等の問題に対しては、情報を共有し、共に解決策を模索してゆきましょうとの姿勢にも共感しています。
 これからも親、子、孫たちが安心して生活できる生協のお店があるという事は嬉しい限りです。共に地域の発展のために頑張りましょう。

編集後記

原爆が投下されて66年、放射能の恐ろしさを世界一知っている日本人。皮肉にもこの度の原発事故で今また我々は悩まされ、苦しめられています。見方によっては、かつての戦争で味わった苦しみと同じではないでしょうか。
ところで、「平和のための戦争展・喜多方」は今年で17回目となりました。皆様も一度は来場したことでしょう。展示はいかがでしたか?
ご来場いただければ、絶対に戦争はしてはならないことを自覚された事と思います。そして、私たちはこれから何をすべきかを今こそ考える時ではないかと思うのです。

<K・I>

 

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