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50周年記念式典御挨拶
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理事長 熊谷純一 |
私はただいま紹介されました理事長の熊谷です。コープあいづ五〇周年記念式典に当たりまして、ご挨拶を申し上げます。
国会が会期中にもかかわらず、駆けつけていただきました渡部恒三先生はじめご来賓の皆様、また全国各地の生協の皆様、お取引様の皆様、そして組合員の皆様、本日の、ご出席、心より御礼申し上げます。
二〇〇九年は、日本の生協運動の父であり、偉大な社会活動家であった賀川豊彦の献身百年を迎えた年であります。五十年と百年、何か意義深いものを感じております。
今年九月、家の光協会から賀川豊彦の小説「復刻版・乳と蜜の流るる郷」が出版されました。この小説の舞台は、喜多方市のお隣の北塩原村であります。
また賀川は、昭和二十一年喜多方で講演をしております。賀川と会津、因縁浅からずといってよいと思います。
賀川が会津の生協設立に影響しているかということに関しては、記録はありませんでした。
しかし、設立運動の最初の段階で、地区労の執行委員会や昭電労組家族組合の会合で福島消費組合関誠一理事長が「生協とは何か?」ということについて、情熱を込めて話しております。
参加者に感銘を与え、設立運動に深い影響を与えた、ということが文献に出ていました。
私たちの生協創立者の皆さんは、労働組合運動の先頭に立って、また社会変革のために戦っていた人たちでした。
そして、生協運動は自主的運動体であり、事業活動と一体であることから、自らの労働運動とは厳しく一線を引き、思想信条に様々な違いはあっても、「心を寄せ合う」行動をした創立者の人々の群像が五十年史編纂の中で明らかに浮かび上がってきたのですが、そういう人々に関氏の影響もあって賀川の思想が自然に反映していただろうと解釈しております。
こうした人々の献身的な努力で誕生したコープあいづを五十年という長きに亘って支えていただいた組合員さんとご家族の皆様、そしてともにがんばってきた全職員の一人ひとりに感謝しながら、一緒に喜び合いたいと思います。
そして国会議員の方々、県をはじめとする自治体の皆様、金融機関はじめお取引先の皆様、労働組合の皆様、JAの皆様、産直生産者の皆様、日本生協連はじめ生協の仲間の皆様、店舗建設に関連する業者の皆様、最初の店舗用地を与えて下さった角田様、そして地主の皆様、本当に多くの方々のご指導、ご鞭撻を思うと感謝に耐えません。全組合員と職員を代表して、衷心より深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
さて、私は、五十年の歴史を振り返ってみて、特に思うことが三点ほどあります。
第一点目は「常に大きな理想を持っていた」ということです。
「小粒でも日本一の生協」「宝石のようにきらりと光る生協」という大それたスローガンを早い段階からと掲げ続けておりましたし、今も掲げ続けているわけです。
その理想実現のために、私たちは、積極的に「知」を日本中に、また世界に求めました。一例を挙げれば、喜多方市にある「ひがし店」はアメリカ・アトランタのクローガー、その競合店のハリステーターというローカルスーパーを参考にして建設したものです。また、ニューヨークの北とコネチカット州にあるシチューレオナルドという、私は世界一の食品店と思っていますが、そこの考え方も反映させました。つまり全米一の店舗、世界一といわれる店舗を参考にして日本のどこにもない、バリューという名前の本当に生協らしい業態を開発して開店しました。組合員さんからは大変喜ばれた旗艦店舗となりました この店舗は日経流通新聞の一面を飾った店舗となりました。一九九七年平成九年のことです。
このように、組合員の暮らしを守り、豊かにするにはどうしたらいいか、という発想で、真正面から、日本一に向かって挑戦する、というチャレンジ精神はコープあいづの特徴を示してきたと云えると思います。これからもそうありたいと思っています。
第二には、「自立と連帯」ということです。
五十年の歴史を通じて、「自主自立を前提としての連帯」という姿勢を貫いて参りました。
設立当時の店舗政策は、必ずしも県連の方針にはそぐわないものでした。当時の県連は、御用聞き中心にすべきだ、店舗は従だ、という指導だったと聞いております。
しかし、雪が多い会津では店舗が中心だとして、喜多方の中心商店街を立地に選び、御用聞きは従だと主張し、自主性を貫いたそうです。その上で、県連には結集したのです。
今年話題を呼んだ新業態「コープベスタにいでら」は、前年比160%を超える驚異的な組合員さんの結集を実現していますが、価格が安すぎる、デスカウントだろうということで、心ある生協の仲間からも批判的な声が出るだろうと思います。しかし、私たちは、デスカウント店とは考えていないのです。「より良いものをより安く」を貫く、本当に組合員の暮らしに役立ち、喜んでもらう、そこにベストを尽くす、それの具体化がベスタだ、と考えています。
自己を確立して、その上で、あらゆる人々、組織と連帯していく、という姿勢でありますが、これが餃子事件でも生きたと思います。誰がなんと言おうと自主的に、問題の餃子は2ヶ月も前に、早い時期に撤去いたしました。しかし、日本生協連コープ商品に私たちは結集していきます。
この姿勢も、ズーッと一本通っている歴史だと思います。これも今後に続くものであります。
第三に「地域と組合員さんと共に」ということです。
特に会津若松の「あいおい店」では、景観を残し、会州一を残す、蔵と酒を残す、つまりは文化を残す、そして博労町をにぎやかにして参りました。何よりも高齢化の進む町で、住んでいるうちの近くにコープのお店がある地域になりました。
組合員の暮らしにとって最も大切なものは地域であります。この地域を深く意識しながら、産直や環境、福祉など幅広く生協の運動と事業を進めてきました。
地域に支えられ、地域に生きる生協を今後も力強く進めていく所存です。
「高い理想」「自主自立と連帯」「地域と共に」というこの私たちの実践は五十年を振り返って大切なものだったと思います。今後も引き継いでいくものであります。
私は、今世界は、大転換期であると思います。この大転換期には、地球的規模で、政治、経済、社会、哲学、文化全てに二十世紀とは違うパラダイムが求められていると思います。
それは、地球環境を開発の対象とし、無限に成長し、拡大し続ける、とする哲学に別れを告げ、全ての命あるものが感じている「存在の不安」を「存在の安心」に変える、そういう世界に進まなければならないと思います。
生活協同組合は、その理念の中に、すでに「相互扶助」すなわち「互いに助け合う命の存在」を前提としており、「存在の安心」の役割を果たすことの出来る組織だと確信しております。
「一人は万人のために 万人は一人のために そして次世代のために」の精神を高く掲げ、日本の生協の「二十一世紀理念」である「自立した市民の協同の力で、人間らしいくらしの創造と持続可能な社会の実現」に向かって全国の仲間とそしてご参会の皆様と共に次の五十年に向かって前進することをお誓いして挨拶といたします。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
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