「第30回 平和のための戦争展・喜多方」 講演会報告
7月6日(土)と7日(日)に行われた「第30回平和のための戦争展・喜多方」の講演会から、講演内容の一部をご紹介します。
「慟哭のテニアン島」~集団自決を生きのびて~
講師:伊藤久夫さん(会津坂下町在住)
伊藤久夫さんは、戦後50年の1995年以来、生活費を切り詰めながら、ほぼ毎年テニアン島を訪れて遺骨の収集を行っています。
日本から南へ2,500キロ離れた太平洋マリアナ諸島に浮かぶテニアン島。戦前、日本政府の後押しを受けて、会津藩出身の松江春治が創業した南洋興発株式会社があり、サトウキビ栽培の一大拠点として発展していました。福島県から多くの農民が移住し、伊藤さん一家もサトウキビ栽培で働き平穏な日々を送っていました。
しかし、1944年(昭和19年)の7月24日、米軍が島に上陸。一家は持てる限りの食料を手に島の南端の集落を目指しました。真夜中に息を殺してひたすら歩く。やっとの思いで到着すると、そこは艦砲射撃を受けた無残な死体が散乱し、地獄のような光景が広がっていた。「この島には、もう逃げ場はない。皆、一緒に死のう」洞窟に入った人々は家族ごとに輪を作って最後の時を待った。あちこちから「天皇陛下万歳」の叫び声が聞こえた。そこに米兵が姿を現し、「デテコイ、カマワン」の片言の日本語で投降を呼びかけた。しかし、捕虜になったら男は殺されるか奴隷となり、女は米軍の慰み者にされて、最後は殺されると聞いていたため、周りの家族たちは次々と手りゅう弾を爆発させて自決した。当時9才だった伊藤久夫さんも覚悟を決めて目を閉じた。しかし、父親が叩きつけた手りゅう弾は不発。洞窟内で生き残った住民に「殺してくれ」と頼まれた父は、斧のようなものを住民の頭に振り下ろした。そして、父は家族にも斧を向けた。久夫さんは頭を殴られて負傷し気絶したが、米軍に保護された。父と母、姉も一命をとりとめたが、2人の妹は亡くなる。テニアン島では民間人と軍人合わせて、15,500人が命を落とした。
かつて、南の島で大勢の同胞が苦悩の断片すら語れず白骨化していった事実を、生き残った自分が、せめてその一部でも代弁して記録を残すことが、心ならずも行ってしまった彼らに対する「心のはなむけ」ではなかったか。「故郷から遠く離れた島で誰も好んで死んでいない。祖国に戻すまでが国の責任ではないか。これまで国の対応が遅すぎた。遺族にはもう時間がない」「全世界の人々がかつての大日本帝国のような独裁国家になってはならないと思う。世界中の人々が話し合いのテーブルをはさんで話し合えば、必ず道は開けると思う。愚かな争いをして、悲しみ、そして苦しみぬいた私たち先人の実態を知ることによって、若い人たちに『平和な時代の幸せ』をあらためて理解してほしい」
*テニアン島…1941年ごろには日本人1万5千人を超す民間人が暮らしていた。1944年8月2日に米軍が島を占領。日本本土空襲の拠点として巨大な飛行場が建設され、広島、長崎に原爆を投下したB29が飛び立った。
環境委員会がゴミの処分場見学に行って来ました!
7月11日の木曜日、あいにくの雨の中、磐梯町の沼平第3最終処分場を見学しました。施設の仕組み、設備等を職員の方に説明、案内をしていただきました。途中、質問には、とても親切丁寧な回答をいただきました。現在稼働中の第3処分場のほかにも、稼働を終えた第1と第2処分場があり、地中に浸み込む雨水の浄化には半永久的な処理が続くことを知りました。
会津若松市の「ゴミ緊急事態宣言」を受け、改めてゴミを出すのは簡単ですが、その後の処理、処分の作業は長く続く大変な事で、全て税金で賄われていることを学んで来ました。やはり、1人1人の自覚、気付きが大切だと感じた施設見学でした。
第26回「こ~ぷ暮らしのたすけあいの会」総会開催
「こ~ぷ暮らしのたすけあいの会」は、「みんなで助け合い、住み慣れた場所で安心して豊かで自立したくらしができるように」との思いで、組合員同士がお互いの生活を支え合う有償ボランティア活動です。6月24日(月)ばんげ店組合員ホールにて総会が開催され、31名の会員が参加しました。特別企画として高橋孝子さんによる津軽三味線の演奏に合わせて、手を叩いたり歌ったりして楽しみました。また来年も三味線を聞きたいという声を沢山頂き大好評でした。「こ~ぷ暮らしのたすけあいの会」では、会員を募集しております。援助活動したい会員、援助を受けたい会員、お金で活動を支援したい会員の3タイプがあり、年会費は全ての会員一律600円です。気になる方は、組合員活動部・上野までご連絡下さい。(☎0241-22-1041)
フードドライブのご協力ありがとうございました!
6月22日(土)コープあいづの全店舗にて、今年度1回目のフードドライブを実施しました。今回も、各社会福祉協議会の方や高校生のボランティアさんも一緒になっての取り組みになりました。その結果、全体で1,490点の商品と17,920円の募金が集まりました。ご協力ありがとうございました。募金は、缶詰やふりかけなどの商品に替え、各社会福祉協議会様に寄付をし、生活にお困りの方などにご利用していただきます。次回は、10月19日(土)に行います。ぜひ、ご協力をお願いいたします。
★お手伝いいただけるボランティアさんも募集しています! お問い合わせは ➡ コープあいづ役員室 ☎(0241)22-1041
ばんげ店フレンズで「やせうま」作り
ばんげ店フレンズの恒例行事、伝統菓子「やせうま」作りを6月14日(金)に開催しました。会津坂下町など、会津の一部の地域で昔から作られている「やせうま」とは、見た目がやせた馬の背中に似ているところから呼ばれています。作り方は、だんごの粉、上新粉、白玉粉を3:2:1の割合で、ぬるま湯で練り、程よい大きさに丸めてゆでます。湯がいたヨモギを混ぜ合わせて円形の生地を作り、あんこを包んで出来上がり。あんこは、つぶあんでもこしあんでもお好みで。フレンズの活動に興味ある方は各店店長までお声かけ下さい。
日新委員会でブルーベリー狩り
7月5日(金)、北会津町の農園で日新委員会がブルーベリー狩りを行い、8名参加で楽しいひと時を過ごしました。
坂下福祉員会で布ぞうきんを作りました
坂下福祉員会では、家にある布を持ち寄り、布ぞうきんを作りました。出来た布ぞうきんは、坂下町の福祉施設に寄付します。福祉施設の方々に喜ばれているとの事です。
ばんげ店店頭で“ミニ生協まつり”を開催しました!
7月14日(日)、蒸し暑い汗ばむ陽気でしたが、大抽選会やミニ縁日などで沢山の方々が楽しんでいました。
(2024年6月20日現在)
●組 合 員 数………58,830人
(全会津世帯数比59.2%)
●出 資 金 額…13億7,458万円
〇牛乳パック回収状況
1990年1月~2024年6月30日まで
累計 492,085㎏
(6月は350㎏)
〇食品トレー〈24年度6月〉
発泡トレー 304㎏(前年比79.8%)
透明トレー 204㎏(前年比87.9%)
私の大きな楽しみのひとつがオリンピックです。今や連日テレビはもとより、新聞、ラジオなどのメディアも大忙しで賑わっています。ちなみに私は男子バレーボールの応援に熱が入り、ワールドカップから興奮冷めやらぬ間にオリンピックの応援となり寝不足になる一方。また、見逃してならないのが、ウィンブルドンが終了したばかりのテニスに、バスケ。その他の金メダル候補も数多く上げられています。
さて、8月は忘れてはならないあの終戦から79年を迎えます。しかし、未だ続いている世界の戦争を思うと、平和の祭典のオリンピックなのにと怒りを感じます。まだまだ世界の平和を望むには厳しい状況ですが、共に平和を祈りたいものです。
≪M.K≫